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わたしのルーツ

10年前に参加したアメリカ農場実習の同期から原稿の依頼があり、投稿した。その私の文章。

東京農大出身 H・K
 農大の団長を務めながらも途中帰国したことで覚えている方も多いかと思う。サリナスのカーネーション農場「U」のUさんにお世話になっていたが、途中で農場を飛び出してしまった。IFAA事務所近くのモーテルに滞在しながら、わずかなつてを頼りにサンフランシスコ近郊でナーサリーと花屋を経営する方に研修の許可をもらったが、ビザの種類の関係で断念せざるを得なかった。Fさんからファームチェンジを勧めていただいたり、Uさんからも戻って来てもいいとの話をいただいたが、帰国の道を選んだ。
帰国後は農業実習に行ったことを知る人からは「もう帰ってきちゃったの?」と言われ、しばらくは人と会うのも嫌な日々が続いたが、たまたまアルバイトで働いた園芸店でガーデニングに魅せられた。両親がフラワーデザインをしていた影響もあり、農業実習では花卉農家を選択したが、どうやら根のある植物のほうが自分には向いていたようだった。職業訓練校の造園学科に半年通ったのち、造園会社に勤務。その会社はベルギー人がリーダーを務める会社で、西洋風の造園を得意とし設計から施工、管理まですべてを経験することができ、造園の道で独立することを夢見ていた。そのころ知ったパーマカルチャー(永続可能な農的暮らしのデザイン)をより深く学ぶために訪れたニュージーランドで、環境にできるだけ負荷をかけずに暮らすパーマカルチャーの実践者たちから刺激を受け、その後日本で有機農業というものがあることを知った。農業と言えば食べていくことすら厳しい世界と思っていたが、環境と調和しながら専業で十分に暮らしている人たちがいることは衝撃的だった。
その後も会社に勤めながらパーマカルチャーを造園に生かすことを考えていたが、実家の畑で家庭菜園をするようになると作物を育てることが楽しくて仕方がなく、日の出と共に起床し出勤までの時間を畑で過ごす。休日も畑にいる時間がほとんどだった。そんな生活の中から有機農業をやることを考え始め、知り合いの紹介もあり栃木の有機農家に研修に入った。研修は住み込みで1年間。環境イベントのボランティアで知り合い結婚した妻と共にお世話になった。その農場の師匠は以前企業養豚に勤めていた、その養豚場では1人につき1,000頭の豚を飼う。もともと動物好きな師匠にとっては豚が仕事の邪魔をするものに見えてきて、それとはまったく逆の放牧で伸び伸び育てる養豚を自分で始めた。それから20年以上経ち養豚、有機野菜、平飼い養鶏の循環型農場を作り上げた。
私たちも2003年より実家のある千葉県流山市に就農。祖父が残した土地がわずかにあり、そこを中心としているが農地の大半は借地。露地野菜から始め現在では約8反歩の畑で野菜年間50種類と平飼い養鶏300羽の営農。都内まで30分足らずという都市近郊なので新たに農地を借りるのには苦労するが、消費地が近くにあるので販路は色々と選べる。年間を通したセット野菜に卵を加えて消費者に届けている。4歳の娘と、1歳の息子がいるが、消費者にも小さな子供がいる家庭が多く、年数回開く農場でのイベントでの交流は楽しいものである。最近ではこれから農家を目指す若者が農場を頻繁に訪れるようになり。近い将来農業塾も始められたらと考えている。
あれから10年。皆さんがどのような生活をしているのか「USA晴らし」を読むのが楽しみです。中には他界した仲間がいると聞き、忙しさにかまけ連絡を取ることができなかったことを今更ながら後悔しております。ご冥福をお祈りいたします。
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アリガトございます。

良い話を読ませていただきました。普段、顔をあわせていても、なかなかこんな話にはなりませんからね。 これからもご活躍をお祈りしてます。 v-291

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笠原秀樹

Author:笠原秀樹
『会いにいける農家』
定番野菜から新品種まで食卓に彩りを飾る様々な野菜を年間通してご提供させていただきます。
広い鶏舎で放し飼いされた鶏の産みだす「幸せのタマゴ」は塩卵かけごはんで食べてください。

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